正直者はなぜ馬鹿を見るのか

今日、斉藤先生とお話をしていてパッと浮かんだ
「正直者は馬鹿を見る」というフレーズ。

わたしはまさにこの馬鹿がつくほどの「正直者」で「いい人」タイプ。
両親も周りの友達も同じ。
いわゆる「騙されやすいタイプ」の人ばっかりでした。

ちょっときつい言い方だけど・・・
今思えば、その度に「わたしたちは優しくていい人って証拠だよね。相手がめっちゃ悪いやつなんだしさ、ほっとけばいいよ。」って仲間内で傷を舐めあってたんだなって気がします。

 

そういう人たちは「基本的に社会的に狭いところにいるから、里での経験が少ない」というような意味合いのことを先生が仰ってたんですが(ごめんなさい、ちょっと言葉尻が曖昧で)、確かにそうだと思います。。

世間にはいろんな人間いるのはわかってるのに、そんな人間にされるがまま影響されっぱなし。
それを対処するわけでもなく、ウジウジして、ずっと同じことを繰り返しては悔しがって涙を飲んできた。

かなり被害者意識もあったと思います。
これも思い込みですね。

 

いい人で優しく騙されるのは、少なからず相手を全部信用してしまう自分があってのこと。
裏を返せば騙される方にも問題がある。

相手に無防備に身を任せてしまって「わたしを騙してください」って言ってるようなもの。
そこには、強い依存心があったりもする。

「優しくていい人を演じる」=「自分がないから」。

自分がしっかりしていたら騙されないし、自分をちゃんと持っていたら
たぶん騙されることもないし、騙す相手もいなくなるでしょう。

ここが肝だと思った。
自分を偽った優しさは、仇になる。

なんだか色々と履き違えていたんだなぁと思います。

 

「いい人をやめる」「素直になる」と、馬鹿をみることもなくなり。
そうすると人の見る目も、(評価が)勝手に上がるとのこと。

人の目を気にしてよく見られたい、自分を守ってた行為・・・
がんばって「いい人」やってたのに、作用としては実は逆だったってことなんです!

素直になって自分の土台をしっかり出来れば、いい人は自然とやめられると思います。
する必要がなくなるから。

もう、他人の顔色を自分の行動の物差しにするのはやめて、自分を生きましょう。

自分のためにならない「いい人」はもうやめて
誰にも邪魔されない、自分の道を生きましょう^^

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