あとは「しない勇気」だけ

金曜日に「シンプルイズベスト」というメッセージが
ガツーンと来てから、スッキリしっくりきてます。

色々何が私に必要なのかとか足りないのかとか
ごちゃごちゃ考えたりしてきたけど 笑
木曜に斉藤先生とお話していて思ったのは、結局・・・

他人に対してあれこれしようとするのは
もうやめて、自信と勇気を持ってただ自分に
忠実に生きるだけなんだなー、と。

「しなきゃいけないこと」ではなくて
「しないこと」なんだなー、と。

 

他人に◯◯してあげたいとかは
傍目からすれば、とってもいいやん?て思えることなのに
わたしはそれを過剰にしすぎてしまった。
それで毎回失敗してきたんです。

正直、誰彼に影響を与えられたらいいなとか、
役に立ってほしいとか、ホントはしたくないけど
歓んでもらえるなら…とやってきたことも
たくさんありました。

また、つい癖なのか自分を守ろうとしてるのか、、
無意識に相手を”エスパー”してしまって
(顔色読んだりどう思ってるかをまず判断して
そっち重視、自分の気持ちは蔑ろにした言動をする)
相手軸になりがちなところがまだあるんですよね。

そこを打破するのには勇気がいる。
「相手軸にならない(相手を読まない)勇気」。
=「しない」勇気。

これらはすべて、アトピーの人の特徴「いい人を演じる」
という部分にも繋がってるなぁ~とすごく思います。

わたしがやりたいことをただやってれば、
それが周りのためにちゃんと自然となっていく。
これをがっつり腑に落としたいですね。

超シンプルに、他なんて気にせず
自分のしたいことを集中してやってればいい。
自分本位すぎるくらいでちょうど良いんです。

 

しかし40年弱ほど「エスパー」を生きていく術として
やってきてしまった。
自然と出来るようになるには時間はかかるかもしれない。

「しない」ことが、ラクにわたしらしく生きていける
本当の方法だってわかってしまったんです。
もう実行するしか無いですよ〜〜。

そこで唯一の恐れとしてある
「相手を傷つけたらどうしよう」問題。

もし自分らしく生きている間に、
万が一相手を嫌な思いをさせてしまった時は、、、

「ごめんなさい」と素直に謝ればいいだけなんですよね!

ごめんなさいを言える口も、下げる頭も持っています。
自分らしく生きることを、なにも恐れることはありません。
(斉藤先生の奥様の親御さん談です。本当に素晴らしいと思います!)

 

シンプルに自分を生きることは
素直な自分で、自信と「しない」勇気を持って行動することです。

少しずつでも「行動」していくこと

前回の記事の続きです。
(一気に文章が降りてきて長くなったので分けてました)

 

だいぶ素直になってきているけど
わたしの中で意識がまだ必要かなと思うことがあります。

1「自分の幸せが周りの幸せに繋がる(自分軸に生きる)」
2「どんなときも心のまま、素直な言動」
3「自分のことは理解してもらわなくていい」
4「人が嫌がること(されて嫌なこと)はしない・言わない」
5「相手を批判しない(尊重する)」
6「エスパーしない(勝手に相手を読もうとしない)」

123は昔に比べたらかなり出来てきてます。
2と4の、似て非なるところがやや危うい時があるかも。
自分の素直な意見が相手を傷つけてしまうかも…
という潜在意識での恐れがまたあるみたいで(^^ゞ
頭では理解しているんですけど。
これは6も関連するかな。

5は、まだきっかけがあるとバーっと出て来るんです、
批判グセ…

自分とは全く価値観が違っていたとしても
すべてありなんだと認めることが出来て、
自分を正当化する必要はもうないことが腑に落ちれば、
自然と相手のことがそんなに気にならなくなり
批判も消えていくと思います。

夫ともこないだ話してましたが
結局自分の希望通り思ったようには
すぐに変われないんですよね〜。

何度も失敗するし、予想外のことも起きる。
完璧な人なんていないし。
素直に認めて、次はなるべく繰り返さないようにしていく。

また、ゆっくり癖をつけていく。
なりたい自分を意識して、行動する。
毎日フリでもいいから実行してみること。
恐れない。

 

わたしもずっと去年の春から「自分にありがとう」を
毎日してますが、もうすっかり身につきました。

はじめは自分を褒めることに慣れてなくて
心からは言えてませんでした。抵抗も少しあったし。
今では毎日「ありがとう」と労うのが日課にすらなってきてます。

見方を変えることや気づきの後が大事ですね。

机上の空論や見えない敵(幻想)と
頭のなかで延々戦うのではなく
自分からまず行動を起こしていくこと。

そこには少なからず勇気が必要なんです。

素直でいると悪口は存在しなくなる

今日は節分ですね。

「鬼は外」「福は内」
こんな掛け声で豆をまくけれど。

 

さっき面白いメッセージ?気づき?がふと来たので
記録として書いておこうと思います。

 

昨日の記事にも関わることなのかもですが。

嫌いな人や嫌な思いをした人に対して
「悪口」や「陰口」をつい言ってしまいますよね。
個人のこともそうだし、世間的なゴシップとかも。

これってその嫌な出来事の少しあとで、
その本人がいなくなった場所で、
かつ本人以外の他人に言うことで
「悪口」や「陰口」となると思うんです。

じゃあ、なぜ素直だとそうならないかというと
嫌だと思ったその時に、まっすぐ本人に伝えられるから。

その場で完結。
本人に伝えてすっきりしたら、他人に
そのことを言いたくなる必要がなくなると思うんです。

悪口って、聞いてても陰湿で気分が良くないし
言うのも、その時は一時的に発散されるかもしれないけど
行為としては「(自分を)わかってほしい」の一環なので、
後ほど、この”問題”をわからせる出来事を強く引き寄せてしまいます。

自分の思う(そこにいない人のことやものの)好き嫌いや価値観を
別に他人にわざわざ伝えて、知ってもらう(わかってもらう)
必要なんて無いんですよね〜。

自分が自信を持ってそれを好きでいたり、やっていたならば
「◯◯は嫌い」を言う必要性も、言いたくもならないと思います。

 

「鬼」も「福」も、全部自分の中にあるんやな。
そんなふうに思った節分の日です。