自分の特性を自覚すること

実はこの前に載せようと思って書き留めていたことがあったのですが
見方が変わったので、ボツにしました。

本Blogには書きましたが、先週占星術で見ていただいて
わたしという人間を自覚することが出来たことで、
自律神経がかなり落ち着きました。
(斉藤先生に見てもらって確認済み)

詳しくはこちらを読んでみてください
(長いです。すみません)

 

今その書き留めたものを読むと、思考先行だったことがわかったんです。
メモしていたことを簡潔に言うと、
色々と焦って治そうとするあまり手当たり次第試してたら、
世の中に溢れる情報などに左右されすぎてしんどい。
アトピーに効くと聞いては次々に新しく取り入れてたら、ホントキリがない。
効く効かないは人それぞれ。いろいろプラスすることに疲れた。
今後はなににしても削いで行きたい、シンプルにしよう、
という内容でした。
(こうして書くと短いな〜〜^^;;)


GW中の下鴨神社の山吹、綺麗でした♪

 

とにかくわたしの場合は「直感」に従うのが一番良いみたいです。
すでにサンクチュアリも作りました。
まだ簡易バージョンと言った感じで、納得はしてないんですが 笑
これからもっと充実させていこうかなと♡
セージを焚いたり瞑想したりして、心が落ち着くのでとてもいい感じです。

 

自分の特性を自覚して納得できたおかげで
自律神経も落ち着いたし、勘がさらに鋭くなってきたようで、
こうするといいよ!というビジョンを見せて貰えたり
囁きが聞こえてきます。

たまにお叱りもあります。笑
天然石や作品を扱う時はすごく丁寧なのに、
どうして自分の肌は丁寧に扱わないの?
と言われた時は”ガーーーン”て感じでした。。苦笑
上から(ハイヤーセルフ)の言葉は図星過ぎて笑えます。
それからは丁寧に扱っております。笑

 

オカルトチックかもしれませんが
わたしにはこれが事実効いているんですよー。
実際アトピーも心身もラクに良くなってきているので反論できません。

こういった例もあります。
何が正解かなんて自分にしかわからないし
答えも自分の中にしかないですね。
何にしてもですけど。

絶望から希望へ…地球に来た意味①

スピリチュアル的なので本ブログに書こうか迷ったけど、
心の話なのでこちらに書きます。
こないだ観に行った、本満寺の満開の枝垂れ桜を載せつつ。

降りてきたのをそのままメモしたので
いつもみたいに敬語ではないですが、ご勘弁を〜。

うまくいってる時って、なんかわかる。
心は軽いし体調もいいから、いつも気分がいい。

ピリピリしてなくて、どっちかっていうとポヤッとしてる。笑
常に委ねている感じ。
でもなにもしないわけではなくって
インスピレーションが来たらすぐ行動。

 

今まで赦せなかったことが赦せるようになって
(“赦す”あえてそういう感覚もなくて、
無意識にそういうもんなんだって感覚がする)
夫が今まであまり口にしなかった褒め言葉をかけてくれたり、
わたしに会いたいって言ってくれる人が多くなったり。
とてもうまく行ってるなって解る。

 

余裕が出てくるから、相手に歓んでもらえることを何かしたくなる。
相手に気に入られようという動機ではない。
全く無理がなくって、わたしがナチュラルにやりたいと思うことと
相手の需要とタイミングが完璧に一致するのが、また不思議。
すごく歓んでもらえて、またさらに気分が良くなるっていう好循環♪

昔に比べて本当に余裕ができたなぁ。
客観視もできてるし、絶対無理はしない。
そういう環境をうまく作れる。

今でこそ、ここまでになってきたけど
ほんの一年半前までは、本気で絶望してた。
地球に。日本に。

たまたま、昔のわたしがずっと頭をもたげていたことに
似たような思いを持つ面識のない人のblogに遭遇して、
思い出したのだった。

もうダメだ、お先真っ暗、人間なんて諸悪の根源、
自然災害で絶滅すればいいとすら思っていた。
でも怖かった。ずっと何かに怯えていた。

 

でも今は自分がやりたいこと、叶えたいことに夢中で
地球での仲間と楽しく穏やかに、自分らしいまま
楽しいことに集中するようになって。

絶望を感じていた部分にいつのまにか気が行かなくなった。
無関心になったわけではないと思う。
逆に地球のこと人間のこと、信じられるようになったんだと思う。

絶望が希望に変わった。
自分を信じられるようになったからかもしれない。

《続く》

昔の私に再会、今の視点から観てみる・後編

何もかもに疲れてしまって脱落したときのことを振り返ると
「自分の軸を持っていなかった」。ここに尽きますね。

エスパーしまくって、他人のことばかり気にする毎日で。
正当化という幻想や思い込みの世界に自ら落ちて
がんばってる自分も無視して褒めることも一切せず
尊重もしなかった。

そんな自分を客観視する余裕も当然なかったですし
言い訳ばかりして聞く耳も持ってなかったように思います。

キャパ超えしてまで「一生懸命」頑張って結果を残しても
自分下げしか出来なかったわたしは、
いつしか相手に対して憧れの感情から、正反対の
妬み僻み憎しみなどを持つようになっていきました。

最早逃げ道として相手を敵にし、自分を正当化するための
幻想世界に生きるしかなかったんですね。

相手は全く悪くなくて
悪者に仕立て上げてるのは誰でもない自分で。

見方が違うと、こうも印象が変わるのかと面白い現象でしたが(^^ゞ

(しかも、当時わたしが思ってたことはすべてお見通しだった、と
聞いて力抜けました・・・苦笑)

ホント、誰かと比べたり優劣をつけることに何の意味もないですね。
また、出来る人を羨む感情から起こる妬みやディスりも甚だ見当違いです。

ごまかして正当化したって虚しいだけ…
そこからは何もはじまらないし、なんにも生まれない。

自分のペースを無視して、無理に取り入れ続けようとするのも
しんどいだけで続かないし、好きなことも苦痛になってしまいます。
馬鹿みたいに「一生懸命」でした(無理です^^;)。
頑張りどころが違いました。
とにかく認めてほしい、その一心でした。

完璧である必要も全然ありません。
「わたしはこういう人間なんです〜」
って胸張ってればよかったのにね。
負けず嫌いで変なプライドだけは一人前だったあの頃。笑

 

わたしはもっと素直に、賢く生きていける。
無駄なことなんて一つもありませんから。

自分の心に忠実に。
したいことを行動するのみです。
順番やタイミングもかなり重要です。
ここはジタバタしても仕方ありません。
観念して受け容れて、天に委ねる。

マイペースにわたしらしく素直に心地よいやり方で
やりたいことをコツコツしていけば、
自然といい風に導かれていきます。
結果的に、わたしらしい輝きで成長していけるはずです。

次のステップもちらりと見えてきてます。
あとは自分のタイミング次第^^
しかも想像しただけでワクワクするものばかりです♪
うまく流れに乗れている証拠だなって思います♡

 

ああ〜「反省は一秒」でいいのに、、
過去の振り返りが長くなってしまいました。
もうこれで終わり☆
次のステップへGO!しまーす♪