「自分を分かってもらいたい」からはもう卒業!

斉藤先生のところにて、やはり前回記事の話になりました。笑

先生は男性ですが「論理的な考え方だけをすること」は、奥様に出会ってやめたそうです。

わたしはずっとお話をお聞きしているだけで、先生の奥様にはお会いしたことはないのですが、とっても素直な方らしいんですね。
奥様のほうが感覚派で行動も早く結果的には幸せを早く手にしていたり、
正解だったなということが多い経験から、一見女性の(思ったことを
すぐに言ったりしたりみたいな)感情的な部分は、理論的に考えて
一直線に無駄なく行けそうな男性よりも、ゴールまで遠回りに見えて
実はそっちのが近道なんだよね、とのことでした。
理論づけてもその通りに行くとは限らないからだそうで・・・。

道筋を立ててその通りにしようとする、保守的な男性の本能的なところ、
感覚主義で思ったらすぐ行動の行き当たりばったり的な女性の本能的なところ。

先生も、女性のほうがそういう点でもメンタル的に”強い”と言われていたのですが。

やっぱり男性は「家族を守る」という本能がありますし「失敗は許されない」
からこそ理論づけして石橋叩いての行動なんですよね。

そんな動物的違いもあるし、経験値からの恐れの感じ方の違いかな~とも思います。
失敗したらどうしようとか恥だとかは男性の方が強い気がします。

だからといって、どちらかが勝ってるとか、劣ってるとかはないんですよね〜。
男性と女性、ただ違うだけで。。

どちらかに合わす必要もないし、理解しなきゃいけない必要もないと思います。
夫を「そういう考えもありやな、わかる」と思うことは出来ても、
わたしは男じゃないし、真の意味での理解はきっと出来ないから、
それはそれでOKと思うんです。

 

もう一つ、斉藤先生が仰ってたのが
「夫に対して自分のことを理解してもらおうとはしないこと」。

自分の言い分を分かってもらいたい、分かってほしい・・・
なのにいくら言っても言っても分かってもらえない・・・
だから虚しさや悔しさや怒りがどんどん来るんですよね。

お互いに「自分を分かってよ!」のぶつかり合い。
相手に分かってもらえたら”勝ち”。
相手に分かってもらえなかったら”負け”。
何となくこんなイメージでした…。

上で書いたとおり、どちらかが劣ってる、勝ってるなんてないのに・・・。

わかってほしいと必死に夫に伝えたところで、
喧嘩や言い合いになって険悪になることはあっても、
自分のことを理解してもらえたり評価してもらえることは絶対に無いです。

これは相手が一番近しい人間関係が夫であって、
これをその他の人間関係にも当てはめることが出来ます。
夫にもできたら、他人にもそうできます。

ということは、親兄弟であったり、外の人間関係において
「自分を評価して欲しい」「理解してほしい」
と思っていたら、ず〜っとしてもらえないということです。

「評価してもらおう」からの行動(いい人ぶったりする)ではなく、
「素直な自分」からの行動をひたすらし続けること。

愛や好きなことや得意なことを原動力に、
自分のやることに集中して続けていれば
不思議と周りは勝手に評価してくれて、評判は上がっていきます。

 

恐れからくる「◎◎と思われたくないから。。」は、幻想や思い込みです。
逆に他人を『自分を◎◎と思うだろう』と予測して、
相手を悪者にしている被害者意識です。
これは自分も相手も信用していない証拠です。

上記からなる意識からの行動は、他人軸で妄想に囚われた
素直さ・自分らしさから一番遠い行動になります。

そんな自分を、誰が分かってくれるでしょうか?
評価するでしょうか?

 

「わたしのこと、分かってもらいたい」はもう卒業♪

分かってもらわなくても全然大丈夫!
目の前の楽しいことに集中して、自分らしく生きればオールオッケー^^

“live and let live” 後編

live and let live

訳し方はいろいろあるみたいだけど、彼女のニュアンスでは

「お互いそれぞれの生き方があって、(良い悪いなんてなくて)
わたしの生き方も素晴らしいし、あなたの生き方も素晴らしい。」

という感じだそうです。

彼女はこの言葉が好きで、大事にしてるって。
難しい時もありますけどね、って言ってたけど・・・

わたし、彼女の年でこんなこと意識したことも(当然)なかったし
最近になってようやく気づいて、やっと割り切れるようになったかな。。
というぐらいなんですけど…^^;;;

彼女と話をしていて感じるのは、彼女は自分のことをよく知っていて
自分をとっても大切にしている。
その上で、他人のこともちゃんと尊重しているのがわかりました。

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他にもたくさんいろんなことを教えてくれました。
彼女も一生懸命日本語であてはまる言葉を探して
わたしに伝えようとしてくれて。
その優しさとかニュアンスみたいなものが不思議と
言葉にちゃんとしなくても、ガツンと伝わってくるんですよね。。

「共鳴してる」って感じ!
頭でははっきりわかってないけど、心ではわかってる。
「魂の記憶」みたいなものに共鳴している。
彼女もその感覚よく解ります!って言ってくれてたなぁ。。
(嬉しすぎる… ;∀;)

 

彼女の生き方は、素晴らしいご両親からの育てられ方、
環境も大きいんだなって思ったりもしつつも、それだけじゃなくて
彼女もそれにしっかり応えているし、すべて素直に受け容れていて。

小さな頃から全てやりたいこととかを自分で決めて、
隠すことなく周りにしっかり伝えている。
しかもすべて周りもそれに応えている。

これは彼女の持つ「素直さ」がそうさせているんだと思いました。

 

彼女は「死ぬまでに行きたいところ・やりたいことリスト」
(bucket list)を無理なく順調に叶え続けてるんですよ。

彼女曰く「わたしは人にすごく恵まれていて本当に幸せです。
日本でお世話になった人達がlistを少しでも叶えてあげるよ、って行きたいところにたくさん連れて行ってくれたり。
こんなにいい人達に囲まれて、このご縁にとても感謝してます。」っていうんですよ。

それは、彼女が素直でとってもいい子だから・・・。
まわりも自然とそうしてあげたいって思うからなんですよ!

これってまさに「素直さ」の成せる技そのものですよね!

彼女との出会うきっかけは英語の先生だったけど、
今では人生の先生でもあります!

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今度は今年の秋、わたしたちが彼女の地元サンフランシスコへ行って
案内してもらうことになりました♪

アリゾナをひと通り回ってから、最後サンフランシスコに行って帰国する予定☆
実はアメリカに5度も行っておきながら、アリゾナ州以外に行くのは初めて!笑

彼女に「そっちに行ってもいい?」って言ったら、
子どもみたいに嬉しさを表情と身体いっぱいに表現して
(ここが日本人にない表現で好きなところ〜〜!)歓んでくれて(*´∀`*)

じゃあまたね~!と言ってHUGしてお別れ^^
彼女、今日帰国だそうです。

またワクワクするお楽しみがひとつ増えました〜〜!

もっと素直になって、本当の自分で彼女とまた会って話したいなぁ♪

鎌倉で気づいた、何でも自分卑下の癖

土曜日の晩に無事京都に帰宅しました☆
わたしの両親も一緒でしたが、本当に楽しそうで
一緒に旅できて良かったな〜とシミジミ☆

久しぶりに自然を満喫して運動もしっかりして、未だ少し筋肉痛です〜^^;
(江ノ島があんなにアップダウン激しいとは思わなかった・・・)

今回の旅のメインは、辻堂にお住まいのご夫婦にお会いすることでした。
東京のイベントで初めてお会いしたんですけど、今回が2回目かな?
(互いのBlogやメールやオーダーのやりとりで久しぶり感はなかったんですが^^:)

所謂、憧れの家族像。自営で好きなことをお仕事にされてらっしゃって。
奥様はセラピスト、旦那様はコーチング中心。
カウンセリングを職業とされるご夫婦です。
ご家族皆さんそれぞれ自由にのびのびとされていて、
お子さん2人に対してもそれぞれ尊重して育てられてはって。。
とにかく自然体なところが素晴らしいなぁ〜って。

今回(2年ぶりくらいかな?)鎌倉のカフェで
直にお二人のエネルギーを感じながらお話したんですけど、
言葉では表せないような空気感や雰囲気、エネルギーでも
たくさんヒントを頂いた、という感じです。

それぞれやりたいこと(わたしたちにしかできないこと)を
ワクワクしながら、自分の心地良いと思うことを軸として
自分たちらしくやることが一番大事なんだなって、
とっても清々しい気持ちになりました。

ご夫婦にはほんとうに感謝の気持ちでいっぱいです!

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↑1日目は快晴で、江ノ島から富士山が見えました♪
2日目の富士吉田では頭に雲がかかって何も見えずでしたが・・・(;_;)

 

今回お話してて、自分自身がガツンと見えて感じたこともたくさんあって・・・。
かなり素直になってきていたものの。。
どんだけ「こんな自分はダメ!」と☓つけまくり、
ジャッジしまくりやったんや〜と。。orz
自分卑下が浮き彫りになった実感がありました。。

憧れの人がこう言ってたからその通りにしなきゃと必死だったり
「こうでなくちゃ」と世間の常識や外側の物差しで、
事あるごとに自分に×をつけて苦しめて、完璧主義・自己否定。。
アトピーの人独特の「優しさ・糞真面目さ」につながっていたようです。

もうそんなのいらんし〜!

 

頑固さも手伝って、何しても自分を労えなかったんですね〜。

例えば「空気を読むこと」はめっさ他人軸でアカンことやけど、
その時の自分がこうしたいと、良いと思ってやっていたんだから
「がんばったね」と肯定してあげたいと思う。

「今の自分」がそれで良しとするか、嫌だと思うか。
「自分基準」で、それがしたくて最善で心地いいと思ってやっていれば、それで「良い」んだ。
ご夫婦と話をしていて気づかされたところです。

例え人から見たら理解不能なことでも(この目線が他人軸とかはナシでね^^;)
本当に自分が好きでやったことなら、自己を責める必要なんてないんやし、
後々「他人軸で無理してたな〜しんどかったな〜」と思えば
今後からはもうやめよ^^って緩く考えるくらいでいい。

反省は一秒。ネチネチ尾を引いても意味が無いですね。

 

白黒・善悪ジャッジガチガチで
絶対コレしちゃ☓。これだけは◎。みたいなのじゃなくて・・・

☓なことしちゃったり無理しちゃった自分もぜんぶ一旦受け容れて
「ありがとう」ってしたい。

☓をしないように自分を監視するんじゃなくて。
もっとゆるくシンプルに自分の気持ち良さを中心に行動する。
自分をもっと尊重してゆきたいと強く思いました。

そうすればもっと心に余裕を持てて
〜〜出来ない自分を自然とジャッジしなくなるのかもです。

あと自分の土台をしっかりすれば自ずとジャッジは減ると思います。
ぶれたり軸がないから、他と比べてしまうわけですから。
それがなくなれば、あとは自分を生きるしかなくなる、という感じかな?

 

まだまだ気づきは出てきそうです・・・^^;;