親友との関係も変化、大きな一歩

ちょっとした変化と気づきのあった、先日の話です。

先週末に友達が帰阪していたのを知って、会いたい〜って昼にメールしたんですね。
返信がなかったんで会うのは来週やなぁ〜と思ってたら、夜に返信があって。

「会える日が明日しかなくて〜。急だけどランチかお茶できたらしようか。
急すぎるし、なおちゃんがあれなら次の機会でもいいよ^^」
みたいな感じの内容でした。

わたしもまさか前日の夜に翌日会おうという流れになるとは思ってなくて。
外出も続いていたのもあって、来週が良かったなぁ〜なんて。
あと、彼女のタイミングとメールの雰囲気から、なんとなく疲れてる?という感じも受けたので。。

「ごめーん。連日外出で疲れてて明日は休みたいねん、やっぱ次の機会にしよう^^」
って言ったら、彼女も
「実はわたしも連日出っぱなしで疲れてて体調悪かってん〜(^^ゞ」
って!

/(^o^)\

 

わたしが何処にも行ってなくて元気で「会おう」って言ってたら、
彼女はしんどいのに無理して付き合ってくれてたかもしれません。

あの時自分に素直になって、
彼女に「しんどいからやめとこ」って言ってホンマによかった~って思いました!
結果的に、相手のためにもなりました。

これ、自分の気持ちを無視して「会おう」って言ってたら
お互いにしんどい状態で無理して会ってた、ってことですもん!
それ絶対楽しくないし^^;

もしかして、しんどいふりして話を合わせてくれた?・・・
いや、彼女は嘘はつかないから性格上それはないかな〜と思います。

 

彼女の性格は年に1,2度会うくらいで5年ほどの付き合いになります。
なんとなく知ってるつもりだったんですけど。。

類友やなぁって感じ(^^ゞ
よく鏡を見てるみたいって思うこともあります。

生理もよくかぶるし!
って・・・
そんな時に会ってるってことは、やっぱお互い無理して会ってたのかな^^;;

でも会える機会も少なくて、それくらいしてでも会いたいと思う
大事な親友でもあるんですよね〜。

わたしにはない行動の大胆さやはっきりモノを言えて(素敵と思う)一面を垣間見るところもあって、年下なのに頼れる感じもあって。
そんな彼女もやっぱり無意識で『いい人』しちゃってるんだなぁ〜。

そういえば彼女も結構頑固なところあるな・・・^m^;

 

彼女とは魂レベルでのご縁で出会ってここまできてるのもあって。
今回はっきり気づけたのも、わたしが素直になることや
頑固さをなくすことに取り組んでるから、鏡を見るように
わかりやすく教えてくれたのかもしれません。

逆に言えば、わたしがしっかりと素直になれば
彼女も同じように共鳴して素直に言ってくれるようになるんじゃないかな?なんて思ったりして。

大切な友達だし、相乗効果でお互いにHappyになりたいなぁ(*´∀`*)

今回はその第一歩だったのかもしれないです。

些細なことかもだけど、わたしにとっては大きな進歩だと思います。

 

自分が変わると、周りも変わる。
っていいますもんね〜。

まず自分から♪ですね(^^)v

陰陽のもとで如何に自分らしく生きるか

わたしたちは、いい経験や褒めてもらったり気持ち良い思いをしたことって
思い出そうとすると、意外と忘れていたりします。

逆に悪い経験、失敗したこと、悲しかったこと苦しかったことは
しっかり覚えていて、すぐ思い出せます。
二度と同じ過ちは繰り返したくないと意識にこびりつきます。
それが過剰な恐れになったり、失敗したら自分を責めたりするようになったり。

これは人間の性といいますか、自分の身の危険が命取りになるわけで
生き抜くために「これは危険なんだ!」とガッツリ忘れないように組み込まれるんですね。
これは生命誕生からの人間の脳のDNA的仕組みなんでしょうね…
ポジティブよりもネガティブなことのほうが残るのはこういうカラクリだそうです。
(斉藤先生談)

 

もうわたしたちは、すぐ食べられてしまう小動物でもない。
原始時代にも生きてない。戦争に駆り出される兵士でもない。

そんな仕組み、今はもう必要ないんです。

自分に厳しく、ビクビクしながら恐れや警戒心を常に持っていなくたっていいんです。
素直に自分を発揮しても安全なんです。

今まで「なんて生きにくいところ(地球)なんだ」って思っていたけど…
(元いた星に還りたいとかって思ってた・笑)

実は生きやすくて(日本は特に)安全で。
個性があってコントラストが楽しめる自由な美しい星なんですよね。

人間関係があって、自分という人間を知れて、ひとりじゃ経験できない歓びも知る事ができる。
陰陽があってこそ、素晴らしさを知ることが出来るこの世界。

 

わたしたちは、里での学びをしに来ています。
森に篭って仙人のように心の修行だけをしに来たのではないんですよね。

自分以外の人間との関係によって自分という人間を知り、生きる楽しみを見出す。

我を隠し偽り苦しい学びとして、生きる道を辛いものとするか、
素直になりラクに生きて、歓びに満ちたものにするか。

ここまで来て、気づいてしまったら
もう後者で生きる他ないですよね〜!

もう『一生懸命』頑張らない

わたし、ホントは頑張るの好きじゃなかったみたいです…笑

しんどかった。投げ出したかった。
ずっとずっと、ラクして生きたかったんです!

わたしの中では

楽する = 頑張らない = ダメ人間

という図式で。

あの人はあんなに頑張ってるのに、わたしときたら何やってんのん…
て、嘆いてみたりとか。

逆に、わたしはこんなに頑張ってるのに、なんでアイツはラクしていい思いしてんねん!
ラクしてる人間がズルく思えて憎かったり腹立ったり、とか。

それはわたしが「一生懸命に頑張ってない自分」を赦せなかったから。

 

今まで、無理やり理由つけて頑張ってました。
意識は焦ってずっと「一生懸命に頑張って」ました。

なにかしていないと・動いてないと不安!って無意識に思ってたんです〜。
でも思い込みだったことが分かりました。

素直に近づくに連れ、勝手に「一生懸命に頑張る」をやめられたようです。
焦る気持ちも減ってきました。
人と比べる無意味さもわかってきたようで
他人のそれを見ても、あんまり強く反応しなくなりました。

基本はやりたい時に、やりたいことを集中してやって。
それ以外は左脳をフル稼働させないイメージ
(意識的にやってたけど、だんだん自然とできてきてるみたい)。

考えても無駄なことは考えない。
ふっと何か不安や恐れが出てきても、すべて幻想であると客観視でスルー。

あとはマッタリしつつ「ありがとう」を思い出した時に言うだけです。笑

 

「一生懸命」なんて無理でした。降参!!笑
しんどくてやってらんない!

一生頑張るなんて続くわけないよ。
ホントは「一所懸命」なんだからね、って斉藤先生に言われて。

そうか…
必要な時にだけエイっ!と頑張ればいいだけやったんやって、力抜けた。

 

自分にOKを出せなかっただけでした。

他にもたくさん当てはまることあるかもしれないです。

何をするにも、何かしらの理由がなくちゃダメって思ってました。
条件付けしなければ安心できなかった。
自分で自分を厳しく律して、がんじがらめにしていた。

心からの叫び声に、意味も理由もへったくれも関係なかったのに。

そうしたいといってるんだから、そうしてあげるだけで良かったんですねー。

頭で考えて考えて言い訳をこねくり回して・・・
潜在意識からの気持ちに無理やり意味づけして
顕在意識で納得させなきゃって、めっちゃ頑張ってた。
そんな必要なんてなかったんです。

 

別に意味がなくても、なにもしなくても、頑張らなくても。

自分に「ありがとう」なんですもん!

自分を愛するのに、理由なんていらない◎
素直になることに、理由なんていらない◎