山の修行より里の修行

昨年末はしばらく安定していたんですが、
月末に記事にした出来事があってから
引き寄せられるように動きはじめています。

先週末すごく久しぶりに夫と少し口論になりました。
感情的な喧嘩ではなく、あくまでお互いの気持ちの本音の伝え合いです。

以前のわたしのように、大きく感情が揺さぶられたり
その都度動揺ってことはほとんどなくなったんですけど。

「これ…わたし試されてる?」
「次へ進むステップかな?」
みたいなことが細かくやってくるんで、スルーできない状態です。笑

 

アトピーに関しては、生理前後とすごく寒い日には
敏感になって痒くなったり湿疹が出来たりしますが
鍼灸以外にも、ヨガしたり自分でも毎晩お灸したりして
ひどくなることもなく治まるので、現状維持ですね。
足は段々ときれいになってきました^^
去年や一昨年に比べれば天国みたいです♪

 

話は戻りますが。
どうも夫婦ともに2月に入ってから、地に足がついてないというか、
些細な事なんですが、やたらミスしたり忘れっぽかったり。
意思疎通もニアミスと言うか、うまく行かなかったりしてます。
これが口論のきっかけになってしまったんですけど。

今の時期はYoo先生曰く、春に向けて芽吹く準備を
しているところで、ワサワサして心身が浮きがちなんだそうで…。
アーユルヴェーダ(だったかな?)では冬には身体に
それ用に精製された”ごま油”を塗ったりするそうです。

どこかのサイトでは「2月は混乱する時期」とも書いてあり
納得してしまった。。
でも混乱を避けずに向き合い、静寂とバランスをつかむこと、とありました。
そこに成長の糸口があるからだそうです。

そっか、これから行動するための準備期間なんですね。
厳しいな、2月。笑


ヨガの行きしな、今日の比叡山方面。白く雪化粧。

 

そんな流れでしょうか?
ちょっとしたきっかけから精神世界の様々な意見を
web上で見る機会がありました。

スピリチュアルの世界は、興味を持ちはじめて10年ほどは
経ちましたが、その頃に比べたら随分と認識も
変わってきたように感じます。

他人と違うからこそ自分が見えてくるし、交流も楽しい。
自分とは違っていても、すべてが素晴らしい。

でも、時々そう思えない時もあったりします。
争いの場面に出くわすと、反面教師だなぁと思います。

この考え方が正解で それは間違ってて
〜〜が高尚で 〜〜が低級で
自分が本物で この人は偽物
・・・

自信を持って、ただまっすぐやりたいことができない。
エゴや幻想に恐れて、素直に生きられない。

 

ルーツやタイプは色々違えど、心からの願いは
地球人みんな同じだと思いたいです。

みんなが自由に自分を生きて
同じ気持ちで相手を信頼し尊重しあえたら。

私たちが願い、思い描く理想の世界に近づくと思うし
自然とみんなが素直に生きられる世の中になって
幸せになれるはず。

現実は・・・?

そこが地球という場所。
エゴのあるコントラストの世界に生きている。

だから、山の修行より里の修行です。

当たり前が当たり前でない世界に

腰、まだ完全ではないものの
痛みがかなり落ち着いてきて余裕が出てきました。
そろそろ想いを載せていこうかなと。

やや内容が向こうよりかな?と思って本ブログに載せようか、
こちらに載せようか迷ったのですが
身体と心のつながりもあるので、ここに載せますね。

 

2017年に入って少ししてから、流れがまた変化した気がします。
腰いわした頃から2日前くらいまで、ちょっとだけモヤッとした
色々混じったような感覚がありました。

わたしなりにいろいろ試してみたこともあり、
昨日夜くらいから腰の痛みが急にまたすーっと減って
精神の方も一緒にスコンと抜けたようです♪

流れの変化ですが、前からちょいちょい出会ってた感覚に
だんだん確信出来てきたというか。
説明が難しいんですけど。

今までは普通、常識やんね〜みたいに思ってたことや
普遍と言われた時空、時間空間距離など法則的なものが
こりゃあやっぱそうではないな、と確信を得てきてます。

これはこうなるのが普通、、、というのが覆される。
なんか不思議やけども…これって。。みたいな。

最近では傷の治り、痛みのとれ方にはじまり、
思考/価値観の変化、シンクロ、以心伝心、
科学的に説明の付かないことなど。

スピリチュアル、精神世界とかも、わたしの中ではもう普通で
日常生活にも随分前からあるし、特別感はないんです。
(以前は出会う人によって気づかされることもありましたが
最近は減ってきました。違和感を感じなくなってきた。)

当たり前やん、ていわれてたことが実はそうじゃなかったり。
目に見えない、珍しい、怪しい、と言われていたものが普通なんです。
自分だけでなく周りもそれに気づき始めてるなってのが解るんです〜。
あと、気づいてない人との違いにも。

あ、気づいてる気づいてないが、優れてる劣ってるというわけではなく。
そういったジャッジがもう古い感じがします。
上下とか善悪とか損得とか
馬鹿にしたり決めつけたりとか。なんか古い。

たまに街中にいる京都特有のごっつ偉そうな偏屈爺を見て
腹立てたりするけど。笑
ま、こういう人もいるよね〜、で終わらすようにしてます。

縦でなく、横繋がり。
否定でなく、尊重。
しっかり自分に集中して愛を持って生きていたら
相手を信じられるから、自然とそうなるはず。

赤信号みんなで渡れば怖くない、
みんなと一緒なら安心安全、
がむしゃらに一生懸命頑張れの「ど根性精神」、
脱個性、権力社会、対処療法、物質絶対主義など
昔信じられてきたもの(洗脳に近い?)が
もう相当崩壊してきてるのではないかなぁ・・・

個の時代。
自分の意思で決める。
頼れるところに頼りつつも、主導権は自分。
基本は自分から行動していく。

 

バランスだとは思うんです。
物質に囚われすぎている、または地に足つかず
スピリチュアルばかりに傾倒していると、
何のために地球にきたかわからないし。

「他の人とは違う」「空気が読めない」「変人」であることを
隠す時代はもう終わりました。
その変さこそが強みであり、それが他でもない自分なんです。

地球にいる今の自分を素直に生きる。
好きなところ嫌なところも全部ひっくるめて受け容れて生きる。
なにより、短い人生おもいきり楽しむことだなぁと思います。

一番そばにいる師匠は「夫」

わたしが素直になって今まで得られた感覚や行動を
3記事にまとめてみましたが、、
調子が良いと本当にブレが少なくて、なにも迷うこともなく
平穏で安定して幸せでポジティブな感覚でいられるんですよね。

でもちょっと前、久しぶりに少しだけ波がありました〜。

今は解決していて、平常運転に戻りましたけど。
(仕事と旅行の準備でバタバタしていてそれどころではないというのもあります。笑)

今回の記事では、そんな3〜4日前にiPhoneにメモったことを載せたいと思います。

 

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「夫師匠。」

わたしの1番近くには、生き方の師匠がいます。
結婚して16年になる夫です。

さっき、昨晩少し悶々としてたことをblogにあげようとして
その内容を相談したら、あっけなく解決しました。
なので載せるのやめて、改めてこれを書いてます。

その内容はというと

しばらく忘れていたのにまた思い出したように
「俗な世界」のことがどうしても気になって。
潜在意識では身体に悪影響が出るほど嫌と感じるのに、
興味本位でつい見てしまう自分が嫌で。
せっかく素直に生きられるようになったのに。。
わざわざエネルギー下げにいくのも時間ももったいないし、
もう見るの辞めたいんやけどどうしたらいい?

という内容でした。

夫に相談前に載せようとしてたblogの記事のまとめでは、

手持ち無沙汰でつい他人の動向が気になって
いちいちチェックしてしまうのは
幼い頃から大事にしてたぬいぐるみが離せなかったり
タバコがやめられない人のように、
昔の癖や思い込みはなかなか外れないものなのかな?
思考の名残りか癖みたいなものかなぁ?なんて仕方なく思ったり、
2週連続ヨガ休んでたり、ず~~っと仕事詰めで疲れてるから
悪い癖が出やすくなってるんかな〜と思っていました。

結論として出したわたしの答えでは、

自分に嘘がつけなくなってきてるので、わたしがリアルな今をどう生きて
どう思って感じてるかだけが重要視したらよい。

別に他人が自分の知らないところで何言おうが何しようが、
わたしが知らなければそれはわたしの世界で起こっている出来事ではない。

気分の良いものだけ、ワクワクすることだけをちゃんと見極めて
取り入れる事が、自分を大事にするということ。

魂が歓ぶことを賢く選択して行動したら、どんどん健康になっていくし、
悩みもなくなるし、生きるのが楽しくなってくるし、
素直な自分でとても楽で心地良くご機嫌でいられる。

“自分を大事にする”ことに強い意志を持つことも必要なんだ。

と書きました。

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勿論このわたしの気持ちも嘘じゃないし、
そうしたいと思ったのも事実です。

でも、夫は見方が少し違ってました。

 

夫曰く、たとえ見たとしてもそれに影響されなければいいんやし、
見ている自分を否定したり責めなければ
別に見てもいいんちゃう?というシンプルな答えでした。

わたし、せっかく素直で頑固さがとれた自分になったのに、
俗な世界のことやワイドショーみたいな下らない娯楽なんて
見るなんてけしからん!とかってガチガチに考えすぎてたみたい。笑

里の修行中の人間やもん。
山で悟った仙人じゃないし〜。笑

 

夫は、自分をしっかり持っていて他人を良い悪いで判断せず
そもそも他人と自分は考えや価値観が同じ訳がない、
違うということを理解していました。
尊重することが大前提で基本なんです。

正直言うと、わたし自身この点が頭でわかっていながら
なかなか定着してくれなくて、もどかしかったりします。

とある出来事に対し他人と同意だとホッとし嬉しくなって、
違う時は毛嫌いし、反発のエネルギーが一時ヒートアップしてしまうこともあったりします。
「それは自分が正しいと思っている証拠だ」って、夫に指摘されました。

わたしと、この人は違うな~(正しいor間違いではなくて)
と確認するためだったり、
得る情報も自分にプラスになるよう都合よく受け取れば、
別に何を見ようが、ちゃんと自分の土台がしっかりしていて
客観視出来てたら良いんだと分かりました。

 

有無も言わさず “~はしてはならない”という禁止はしんどいです。
何かしらそうしてしまう原因があるのに。

「素直な自分は”こうでないといけない!」”と決めつけようとしてました。
これでは本末転倒です。

自分に厳しすぎるところが、まだちょっと顔をのぞかせていたようです。

もっと素直な自分を信頼して、ゆるく自由に生きたいです〜。

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