絶望から希望へ…地球に来た意味①

スピリチュアル的なので本ブログに書こうか迷ったけど、
心の話なのでこちらに書きます。
こないだ観に行った、本満寺の満開の枝垂れ桜を載せつつ。

降りてきたのをそのままメモしたので
いつもみたいに敬語ではないですが、ご勘弁を〜。

うまくいってる時って、なんかわかる。
心は軽いし体調もいいから、いつも気分がいい。

ピリピリしてなくて、どっちかっていうとポヤッとしてる。笑
常に委ねている感じ。
でもなにもしないわけではなくって
インスピレーションが来たらすぐ行動。

 

今まで赦せなかったことが赦せるようになって
(“赦す”あえてそういう感覚もなくて、
無意識にそういうもんなんだって感覚がする)
夫が今まであまり口にしなかった褒め言葉をかけてくれたり、
わたしに会いたいって言ってくれる人が多くなったり。
とてもうまく行ってるなって解る。

 

余裕が出てくるから、相手に歓んでもらえることを何かしたくなる。
相手に気に入られようという動機ではない。
全く無理がなくって、わたしがナチュラルにやりたいと思うことと
相手の需要とタイミングが完璧に一致するのが、また不思議。
すごく歓んでもらえて、またさらに気分が良くなるっていう好循環♪

昔に比べて本当に余裕ができたなぁ。
客観視もできてるし、絶対無理はしない。
そういう環境をうまく作れる。

今でこそ、ここまでになってきたけど
ほんの一年半前までは、本気で絶望してた。
地球に。日本に。

たまたま、昔のわたしがずっと頭をもたげていたことに
似たような思いを持つ面識のない人のblogに遭遇して、
思い出したのだった。

もうダメだ、お先真っ暗、人間なんて諸悪の根源、
自然災害で絶滅すればいいとすら思っていた。
でも怖かった。ずっと何かに怯えていた。

 

でも今は自分がやりたいこと、叶えたいことに夢中で
地球での仲間と楽しく穏やかに、自分らしいまま
楽しいことに集中するようになって。

絶望を感じていた部分にいつのまにか気が行かなくなった。
無関心になったわけではないと思う。
逆に地球のこと人間のこと、信じられるようになったんだと思う。

絶望が希望に変わった。
自分を信じられるようになったからかもしれない。

《続く》