地球に生きる=ネガティヴと共存するということ③(終)

あとは自分から行動して変えるしかないです。
心地よい生き方が出来るように
自分で環境を作るしかないんです。

自分の幸せは、自分でしか分からないし、
自分の人生は、自分で切り拓くもの。

主導権、選択権は全て自分にあります。
誰かに任せられるものではないし、
誰のせいにも出来ません。

 

いつもずっとがんばれません。
無理です。
心身がしんどい時は休む時。
無理すると簡単にネガティヴに巻き込まれます。

がんばりたい!と思う時にがんばればいい。
理想に少しでも近づけて、歓びに変わるはず。
これを少しずつでいいから積み重ねていく。
成功体験は自身を信じる力になるはずだから。

 

予測して恐れるのは、勝手に妄想をして怖がっているだけ。
延々と意味のない妄想をするくらいなら、
理想を現実にするための一歩を踏み出したいです。

ネガティヴをもひっくるめて。
自身を信じることの委ねと、少しの勇気を持って。

 

 

私たちが望んで地球にきていること、
産まれ落ちた時に忘れてしまったから
辛さはネガティヴに感じるけど…。

ホントはこれらはネガティヴなんかではなく
歓びを見いだすための自分唯一、
最高の人生ドラマを体験するために準備された
大舞台のベースなのかもしれません。

 

だからこそコントラストの世界、
ネガティヴのある地球、
里で生きる事にこそ意味があるのだと思います。

どんな自分も赦し受け容れ生きること。
自身への信頼と委ね。
そこに”本当の自分を生きる”ヒントがありそうです。

 

【終】

地球に生きる=ネガティヴと共存するということ①

ほとんどの人が里の修行に来ています。地球に。
山の修行をしに来た訳ではないんですよね。

山の業はラクだし常に幸せでいられる。
自分の理想の世界に浸れるから。

 

一方、里ではそうはいかない。
山での綺麗事やポジティブをそのままずっと維持できないんです。
どこかで壁にぶち当たる。
毎回思い知らされるし凹みます。

いつも山にいる時のように穏やかでいられたらよいけど
そうもいかなくて、葛藤が続く。

 

相手がいてそれぞれに駆け引きがあるから
思ったようにはいかないことも多いし、
俗な部分に揺さぶらて感情的になることもあります。

それに肉体の悩みが常につきまといます。
欲や闇やネガティヴも当然あるし、
不利や失敗や損などのジャッジもしてしまう。
時の流れなど免れないルールもある。

 

スピルチュアルなど精神世界は、自分だけの世界に生きる山の行。
ネガティヴに苛まれた時に参考にはなるけど、
それに依存して里で生きることは出来ないです。

里でしか出来ない、やるべきことを持って来てるから。

里で理想を求めるのは人間の性ですね。
人間関係、お金、仕事、地位、健康。
肉体も心もあるし、意思も知恵も欲もある。

働いて稼いで生きていかなきゃいけない。
理想とはかけ離れた現実。
何らかの理由で働けない人は、少なからず人や国のお世話になる。
その中での、地球での営み。

 

ワクワク楽しい理想に生きたいけど、
現実との狭間で紆余曲折してる。
皆生きるためにがんばってるし時に我慢もしている。
中には限界を超えてもがんばってる人もいて、
病んでる人もかなり多いのも確か。

そんなネガティヴに巻き込まれそうになりながらも、
現実として毎日を生きていく。
限りある肉体を持つ、長いようで短い生命の中で。

 

“モノ”の見方や考え方で多少ラクになります。
けど、”モノ”の現実や事実は変わらずそこにあります。

これを逃れられない「生きる上での修行」と
ただ耐えることとして捉えるか。

そこに僅かな「生きる意味や歓び」を見い出していくか。

 

【②へ続く】