絶望から希望へ…地球に来た意味②

こないだの春分の日を境にタイムラインが
2つに分かれていくって聞いたけど、
もちろん目に見えるものではなくて意識上のこと。
違いって、こういうことなのかもしれない。

地球に生まれてきて、いろんな知識や常識の波に
囚われ、ただ絶望して落胆して本当の自分を
見失って生きられなくなるより
(絶望しながらも、地球を救うために
自己犠牲でがんばるひともいるけど…)
せっかく地球に肉体と魂持って「私を生きに」
きてるんだから、今しかできないことを楽しみたい。

宇宙から見れば人間の寿命なんて一瞬。
落胆して自己犠牲払ってる暇なんてないなって思う。

「スターシード」とか「ワンダラー」と呼ばれる
地球を救いに生まれて来ている人もいるという。
正義感を持って自己犠牲の学びだと捉えて
行動している人もいるかもしれない。

最初はわたしもそうなのかもと思ったりした時期もあった。
けど、やっぱりちょっと違うなと。
素直に魂が歓ぶこと、俗なことでもやりたいことを
めいっぱいすることもそうだし、
自分を表現するモノづくりや想いのアウトプットが
生きる糧だと感じているから。

これはわたしの考え方なんだけど・・・
「早く地球を救わなきゃ!」って動機からの行動より
「まずは自分を満足に生きるぞ!」のほうが、
個々が幸せに感じれるわけだから
その割合が多くなれば流れもどんどん波及していくし
みんな少しずつ余裕も出てきて、周りを見渡せようになる気がする。

そうしたら、周りの人が幸せになってくれることが
本当の自分の幸せなんだってことに気づけるし。
結果的に地球全体が平和になっていくと思うんだけどなぁ。

ずっと「自分以外ありき」だと、受け身すぎて時間が足りない。
いつまでも相手が変わるまで待ち続けることになるし、
自分は後回し、顔色伺いの自己犠牲のままだ。

やっぱり、まずは「自分の幸福」ありきだと思う。
自分らしく楽しく生きていて幸せと思える日々を
過ごせるようにすることを第一に考えたほうがいい。
我侭なんかじゃない。それが一番の近道。

他人の幸せは、それがちゃんと出来てたら
自然と伴ってくるものなんじゃないかなぁ。

自分をしっかり持って生きる者同士こそ、
同じタイムライン上で分かち合えるのかもしれない。

絶望から希望へ…地球に来た意味①

スピリチュアル的なので本ブログに書こうか迷ったけど、
心の話なのでこちらに書きます。
こないだ観に行った、本満寺の満開の枝垂れ桜を載せつつ。

降りてきたのをそのままメモしたので
いつもみたいに敬語ではないですが、ご勘弁を〜。

うまくいってる時って、なんかわかる。
心は軽いし体調もいいから、いつも気分がいい。

ピリピリしてなくて、どっちかっていうとポヤッとしてる。笑
常に委ねている感じ。
でもなにもしないわけではなくって
インスピレーションが来たらすぐ行動。

 

今まで赦せなかったことが赦せるようになって
(“赦す”あえてそういう感覚もなくて、
無意識にそういうもんなんだって感覚がする)
夫が今まであまり口にしなかった褒め言葉をかけてくれたり、
わたしに会いたいって言ってくれる人が多くなったり。
とてもうまく行ってるなって解る。

 

余裕が出てくるから、相手に歓んでもらえることを何かしたくなる。
相手に気に入られようという動機ではない。
全く無理がなくって、わたしがナチュラルにやりたいと思うことと
相手の需要とタイミングが完璧に一致するのが、また不思議。
すごく歓んでもらえて、またさらに気分が良くなるっていう好循環♪

昔に比べて本当に余裕ができたなぁ。
客観視もできてるし、絶対無理はしない。
そういう環境をうまく作れる。

今でこそ、ここまでになってきたけど
ほんの一年半前までは、本気で絶望してた。
地球に。日本に。

たまたま、昔のわたしがずっと頭をもたげていたことに
似たような思いを持つ面識のない人のblogに遭遇して、
思い出したのだった。

もうダメだ、お先真っ暗、人間なんて諸悪の根源、
自然災害で絶滅すればいいとすら思っていた。
でも怖かった。ずっと何かに怯えていた。

 

でも今は自分がやりたいこと、叶えたいことに夢中で
地球での仲間と楽しく穏やかに、自分らしいまま
楽しいことに集中するようになって。

絶望を感じていた部分にいつのまにか気が行かなくなった。
無関心になったわけではないと思う。
逆に地球のこと人間のこと、信じられるようになったんだと思う。

絶望が希望に変わった。
自分を信じられるようになったからかもしれない。

《続く》

昔の私に再会、今の視点から観てみる・後編

何もかもに疲れてしまって脱落したときのことを振り返ると
「自分の軸を持っていなかった」。ここに尽きますね。

エスパーしまくって、他人のことばかり気にする毎日で。
正当化という幻想や思い込みの世界に自ら落ちて
がんばってる自分も無視して褒めることも一切せず
尊重もしなかった。

そんな自分を客観視する余裕も当然なかったですし
言い訳ばかりして聞く耳も持ってなかったように思います。

キャパ超えしてまで「一生懸命」頑張って結果を残しても
自分下げしか出来なかったわたしは、
いつしか相手に対して憧れの感情から、正反対の
妬み僻み憎しみなどを持つようになっていきました。

最早逃げ道として相手を敵にし、自分を正当化するための
幻想世界に生きるしかなかったんですね。

相手は全く悪くなくて
悪者に仕立て上げてるのは誰でもない自分で。

見方が違うと、こうも印象が変わるのかと面白い現象でしたが(^^ゞ

(しかも、当時わたしが思ってたことはすべてお見通しだった、と
聞いて力抜けました・・・苦笑)

ホント、誰かと比べたり優劣をつけることに何の意味もないですね。
また、出来る人を羨む感情から起こる妬みやディスりも甚だ見当違いです。

ごまかして正当化したって虚しいだけ…
そこからは何もはじまらないし、なんにも生まれない。

自分のペースを無視して、無理に取り入れ続けようとするのも
しんどいだけで続かないし、好きなことも苦痛になってしまいます。
馬鹿みたいに「一生懸命」でした(無理です^^;)。
頑張りどころが違いました。
とにかく認めてほしい、その一心でした。

完璧である必要も全然ありません。
「わたしはこういう人間なんです〜」
って胸張ってればよかったのにね。
負けず嫌いで変なプライドだけは一人前だったあの頃。笑

 

わたしはもっと素直に、賢く生きていける。
無駄なことなんて一つもありませんから。

自分の心に忠実に。
したいことを行動するのみです。
順番やタイミングもかなり重要です。
ここはジタバタしても仕方ありません。
観念して受け容れて、天に委ねる。

マイペースにわたしらしく素直に心地よいやり方で
やりたいことをコツコツしていけば、
自然といい風に導かれていきます。
結果的に、わたしらしい輝きで成長していけるはずです。

次のステップもちらりと見えてきてます。
あとは自分のタイミング次第^^
しかも想像しただけでワクワクするものばかりです♪
うまく流れに乗れている証拠だなって思います♡

 

ああ〜「反省は一秒」でいいのに、、
過去の振り返りが長くなってしまいました。
もうこれで終わり☆
次のステップへGO!しまーす♪