少しずつでも「行動」していくこと

前回の記事の続きです。
(一気に文章が降りてきて長くなったので分けてました)

 

だいぶ素直になってきているけど
わたしの中で意識がまだ必要かなと思うことがあります。

1「自分の幸せが周りの幸せに繋がる(自分軸に生きる)」
2「どんなときも心のまま、素直な言動」
3「自分のことは理解してもらわなくていい」
4「人が嫌がること(されて嫌なこと)はしない・言わない」
5「相手を批判しない(尊重する)」
6「エスパーしない(勝手に相手を読もうとしない)」

123は昔に比べたらかなり出来てきてます。
2と4の、似て非なるところがやや危うい時があるかも。
自分の素直な意見が相手を傷つけてしまうかも…
という潜在意識での恐れがまたあるみたいで(^^ゞ
頭では理解しているんですけど。
これは6も関連するかな。

5は、まだきっかけがあるとバーっと出て来るんです、
批判グセ…

自分とは全く価値観が違っていたとしても
すべてありなんだと認めることが出来て、
自分を正当化する必要はもうないことが腑に落ちれば、
自然と相手のことがそんなに気にならなくなり
批判も消えていくと思います。

夫ともこないだ話してましたが
結局自分の希望通り思ったようには
すぐに変われないんですよね〜。

何度も失敗するし、予想外のことも起きる。
完璧な人なんていないし。
素直に認めて、次はなるべく繰り返さないようにしていく。

また、ゆっくり癖をつけていく。
なりたい自分を意識して、行動する。
毎日フリでもいいから実行してみること。
恐れない。

 

わたしもずっと去年の春から「自分にありがとう」を
毎日してますが、もうすっかり身につきました。

はじめは自分を褒めることに慣れてなくて
心からは言えてませんでした。抵抗も少しあったし。
今では毎日「ありがとう」と労うのが日課にすらなってきてます。

見方を変えることや気づきの後が大事ですね。

机上の空論や見えない敵(幻想)と
頭のなかで延々戦うのではなく
自分からまず行動を起こしていくこと。

そこには少なからず勇気が必要なんです。

山の修行より里の修行

昨年末はしばらく安定していたんですが、
月末に記事にした出来事があってから
引き寄せられるように動きはじめています。

先週末すごく久しぶりに夫と少し口論になりました。
感情的な喧嘩ではなく、あくまでお互いの気持ちの本音の伝え合いです。

以前のわたしのように、大きく感情が揺さぶられたり
その都度動揺ってことはほとんどなくなったんですけど。

「これ…わたし試されてる?」
「次へ進むステップかな?」
みたいなことが細かくやってくるんで、スルーできない状態です。笑

 

アトピーに関しては、生理前後とすごく寒い日には
敏感になって痒くなったり湿疹が出来たりしますが
鍼灸以外にも、ヨガしたり自分でも毎晩お灸したりして
ひどくなることもなく治まるので、現状維持ですね。
足は段々ときれいになってきました^^
去年や一昨年に比べれば天国みたいです♪

 

話は戻りますが。
どうも夫婦ともに2月に入ってから、地に足がついてないというか、
些細な事なんですが、やたらミスしたり忘れっぽかったり。
意思疎通もニアミスと言うか、うまく行かなかったりしてます。
これが口論のきっかけになってしまったんですけど。

今の時期はYoo先生曰く、春に向けて芽吹く準備を
しているところで、ワサワサして心身が浮きがちなんだそうで…。
アーユルヴェーダ(だったかな?)では冬には身体に
それ用に精製された”ごま油”を塗ったりするそうです。

どこかのサイトでは「2月は混乱する時期」とも書いてあり
納得してしまった。。
でも混乱を避けずに向き合い、静寂とバランスをつかむこと、とありました。
そこに成長の糸口があるからだそうです。

そっか、これから行動するための準備期間なんですね。
厳しいな、2月。笑


ヨガの行きしな、今日の比叡山方面。白く雪化粧。

 

そんな流れでしょうか?
ちょっとしたきっかけから精神世界の様々な意見を
web上で見る機会がありました。

スピリチュアルの世界は、興味を持ちはじめて10年ほどは
経ちましたが、その頃に比べたら随分と認識も
変わってきたように感じます。

他人と違うからこそ自分が見えてくるし、交流も楽しい。
自分とは違っていても、すべてが素晴らしい。

でも、時々そう思えない時もあったりします。
争いの場面に出くわすと、反面教師だなぁと思います。

この考え方が正解で それは間違ってて
〜〜が高尚で 〜〜が低級で
自分が本物で この人は偽物
・・・

自信を持って、ただまっすぐやりたいことができない。
エゴや幻想に恐れて、素直に生きられない。

 

ルーツやタイプは色々違えど、心からの願いは
地球人みんな同じだと思いたいです。

みんなが自由に自分を生きて
同じ気持ちで相手を信頼し尊重しあえたら。

私たちが願い、思い描く理想の世界に近づくと思うし
自然とみんなが素直に生きられる世の中になって
幸せになれるはず。

現実は・・・?

そこが地球という場所。
エゴのあるコントラストの世界に生きている。

だから、山の修行より里の修行です。

素直でいると悪口は存在しなくなる

今日は節分ですね。

「鬼は外」「福は内」
こんな掛け声で豆をまくけれど。

 

さっき面白いメッセージ?気づき?がふと来たので
記録として書いておこうと思います。

 

昨日の記事にも関わることなのかもですが。

嫌いな人や嫌な思いをした人に対して
「悪口」や「陰口」をつい言ってしまいますよね。
個人のこともそうだし、世間的なゴシップとかも。

これってその嫌な出来事の少しあとで、
その本人がいなくなった場所で、
かつ本人以外の他人に言うことで
「悪口」や「陰口」となると思うんです。

じゃあ、なぜ素直だとそうならないかというと
嫌だと思ったその時に、まっすぐ本人に伝えられるから。

その場で完結。
本人に伝えてすっきりしたら、他人に
そのことを言いたくなる必要がなくなると思うんです。

悪口って、聞いてても陰湿で気分が良くないし
言うのも、その時は一時的に発散されるかもしれないけど
行為としては「(自分を)わかってほしい」の一環なので、
後ほど、この”問題”をわからせる出来事を強く引き寄せてしまいます。

自分の思う(そこにいない人のことやものの)好き嫌いや価値観を
別に他人にわざわざ伝えて、知ってもらう(わかってもらう)
必要なんて無いんですよね〜。

自分が自信を持ってそれを好きでいたり、やっていたならば
「◯◯は嫌い」を言う必要性も、言いたくもならないと思います。

 

「鬼」も「福」も、全部自分の中にあるんやな。
そんなふうに思った節分の日です。